それ、照れます!

照れたら書き、書いたら照れる。三十超えて頬を赤らめ、ひとりゆく。筆者は格子「照論文 」

一本締め、一丁締め

 「宴もたけなわでございますが」などというプラスチックな言葉が、飲み会も後半になると聞こえてくる。全然盛り上がっていなくても、たけなわと言っちゃう。もうここでぼくは照れてしまう。だが、照れはこれで終わらない。

 

 「では、一本締めで……」

 

 これが照れる。やらにゃいけんか? やらにゃ終われんか? どんだけ形、好きなんや。様式美フェチにもほどがありやしないだろうか。

 

 「それではお手を拝借……」はい、これも照れる。

 「いよぉおう、お」はい、これも照れる。叩く前に、胸の前に出した両手を一瞬空でバウンドさせる、はい照れる。

 

 「パパパンパパパン」はい、照れる。なぜなら、一本締めは「よーお、パン」で終わりだと思っていたからだ。

 

 「いうおぉう、お、パパパン、パパパン、パパパンパン、パパパン、パパパン、パパパンパン、パパパン、パパパン、パパパンパン、パパパン、パパパン、パパパンパン、パパパン、パパパン、パパパンパン、パパパン、パパパン、パパパンパン、パパパン、パパパン、パパパンパン、パパパン、パパパン、パパパンパン、パパパン、パパパン、パパパンパン、パパパン、パパパン、パパパンパン。わぁ〜パチパチパチパチィ〜」

 何回? いつまで叩くの? 一回じゃないの? どこ見ていればいいの? 案外みんな下見てるけど、これ暗くない? 

 十回やるのが一本締めだそう。「いよぉう、お、パン」これが一丁締めと言うらしいのだ。

 

 一本締めあるいは一丁締めの歴史を知っているわけでも調べたわけでもないので、無為にいじるわけにもいかない。ただ、照れるとだけ記しておこう。アルコールのせいではない。顔は真っ赤っかだ。が、やれと言われればやってしまう。受動的に、攻撃的に。

 

 締まったためしがない。悶々悶、悶々悶と帰途につく。

 

校則自由で靴ローファー

 校則自由の学校で靴ローファーの高校生に照れる。特に男子。女子は良い。ブレザーにスニーカーの方が難しいだろうし、ローファーがかわいいに決まっている。

 

 男子よ。シンプルに、なんでなん。

 

 いやいや、いいの。なんでも。知ったこっちゃないし、おじさんがおじさんの価値観でごちゃごちゃ言うのもおかしい。

 

 でも、なんでなん。

 

 僕は高校時代、制服は学ランで、靴も鞄も自由な学校に通っていたのだけれど、クラスのほとんどがスニーカーで、鞄はリュックが主で、部活のエナメルバッグだったり、トートバッグだったり、いたってカジュアル。

 ローファーが稀にいる。そして、靴がそれなら鞄も革。僕が過ごした時代も。いまも。なんでなん。好きなの履いていいのだから、好きなの履いてくださいとは思うけれど、生きる意欲を削がれるほどダサい指定靴を中学の三年間履かされてよ、やっと解放されてよ、お気に入りのスニーカー、メンズノンノに載ってたやつ、スマートに載ってたやつ、ゲットオンに載ってたやつ、新しいの買って履きなよ。ゲットオンでチョーカーとかバイカーズウォレットにも興味持って制服と合わせようぜ。  

 なんでローファーなん。おっさんもローファーの格好良さはわかっているつもり。さっきはすごくダサいことを書いた(自覚あり)。制服にはローファーが一番美しい組み合わせとすら思っている。だから、そこなのだ。

 

 そこに照れる。それができることに照れる。 

 ローファーに対する熱い思いを父さんが残したのか? ローファーへのまなざしを母さんがくれたのか? 片親であったことが、僕のこの照れに影響しているのか?

 

 

 少々野蛮な校風の工業高校に通っていたものだから、ローファーがただ浮いていただけで、しかも、揶揄するようで実は憧れていたのもかもしれない。なんたら現象か心理か法則か知らないけれど。シンプルにただのひがみかしら。

 

 校則自由で靴ローファー。鞄も革で上品に。けれど自転車マウンテン。ラッパー風のキャップ被って、おいらオシャレな高校生。ってか。間違っても、モー◯学園に行きたいなど考えぬように。

 

 かくいう僕は、ドクターマーチンのエイトホールを履いていた。色はチェリーレッド。バッグはポーターの黒いトート。自転車はママチャリ。帽子は被らず、ナカノスタイリングワックス。

 

 いま思えばいけすかない野郎だ。

 高二の秋に、バン◯ンに資料請求した記憶あり(自覚なし)。

 留年したので十九歳で卒業。

 他人に照れている場合ではない。

 自分が恥ずかしい。

 

 いや、生き方は自由なのだ。全国の少年たちよ、精神の貴族でいようじゃないか。

まぐろちょうだい

 握る人がカウンターの中にいるタイプの回転寿司店。

 僕はどうも注文に手間取る。

 

「さあさあ、どんどんお声掛けくださいねェ」と威勢の良い声が轟いても、その人が何かを握っていたり、注文を受けていたりして、「カンパチぃ、イクラぁ、あァい」などと返事をしているのを見たら、今言っちゃいけないよね、「あァい、カンパチぃ、イクラぁ、どうぞォ」ほら忙しい、となる。そうこうしているうちに、「ほォい。ウニぃ、海鮮汁、あァい。2番さん、海鮮汁ゥ、スダポーン、スダポーンさーん、海鮮汁ゥ、2番さんにィ。あァい、お先にウニぃ、お待ちどうさまァ」

 配膳担当のお姉さんにビールも注文したいけれど、忙しそうで、それもできない。飲みたい。だから、お茶も入れられない。懊悩していると、意外に自分のすぐ斜めうしろのほうで違う女性の店員さんが下を見て立っていたりする。

 よく握り、よく回してくれるお店に、僕は感謝してもしきれない。

 喉が潤えばこっちのもの。次から次へと手が伸びる。注文する必要性もない。ただ、それでも、新しいのが回ってこなくもなるし、明らかに乾いたものも来るし、サーモン何皿もいらない。黒板に書かれたメニューを生意気にも食べたくなるわけで。ホワイトボードに消えかかっている何かの三貫盛りもいってみたくなるわけで。

 お腹は、あと2、3皿しか入らない状況であることがしばしば。いつも思う。ここで食べねば、言わねば、顔をあげねば……「すすすす、あの、すすすすすみ」

 

 

「まぐろちょうだい」

 

 

  おじさんの声だった。時が止まった。レーン越しに見えるその人が、すみませんも、あのも、大将も、お兄さんも、ねえねえも、あのさも、ごほんごほんも、なにもなく、いきなりまぐろ。まぐろちょうだい。おじさんは声量も滑舌も完璧で両肘ついて手もみ。刹那。食べるときは片手たたんで、口に入れたら片手起こして、また手もみ。刹那。他の客の注文直後でも関係ない。板前さんひとりでも。平日でも土日でも昼でも夜でも。324円でも108円でも。手もみ。手もみ。刹那。ねじねじ巻きのストールが脳裏に浮かぶ。

 

「カンパチとツブ貝とシャコ。サラダもちょうだい」

「あァい、カンパチツブ貝シャコサラダ。スダポーン、スダポーンさーん、あ、シリポーンさーん、8番さん、サラダねー」

 

 追加につぐ追加。どこのお店に行ってもこういう人がいるのは気のせいだろうか。なぜ、そういう風に注文できるのだろうと憧れはしないが、男はこうでないとと刷り込まれるようでいつも怖い。

 そういうおじさんはお酒が飲めないのだろう。BAR感覚でひとりの時間を嗜んでいるのだろう。

 

ジントニックとミックスナッツ。オリーブもちょうだい」を、ほんとはやりたいのだ。

 

 

 なんの前触れもなく、「まぐろちょうだい」なんだか照れる。

 

 

 心理学を持ち出しがちな人は、僕が彼を生み出したと言うのだろう。

 おじさんの心理を教えてほしいよ。おじさんに。

 

 

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