読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

それ、照れます!

照れたら書き、書いたら照れる。三十超えて頬を赤らめ、ひとりゆく。上平格子の「照論文 」

指名ございますか

美容室にて照れる

 美容室が苦手だ。美容師さんも。これは、彼らや彼らのいるお店が悪いという意味ではない。美容室を知って二十年ほどになるかと思うが、その間、もちろんいくつもの店、人に切ってもらっている。床屋でスポーツ刈りにしていた小学生の頃のことを思いだしてみると、苦手意識は一切なかったように思う。土曜日に学校から家に帰り、うどんをすすりながら吉本新喜劇を見て、二千三百円を母から受け取り、理髪店のあの独特な、マスターの体臭と哀しみを混ぜ合わせたような液体の臭気を鼻に溜めながら出しながら、硬い革のソファでゴルゴ13を読みつつ順番を待ち、友達と遊ぶ時間が次第になくなってゆく焦燥で首を痛める。切っても切っても大きくなる頭を面倒に思う程度で、特に店の居心地が悪いわけではなかった。

 

 いつからか美容室に行くようになった。どの店もぼくは数回ずつしか行くことができなかった。どこも同じストレスを感じる。鏡の中で目を合わせて話しかけられ、鏡の中の美容師さんの目を見て返事をしなければならない。照れるから、なるべく見ないような喋り方をしてしまうものの、さすがに時々は、自分の髪を切ってくれている人の目を見ないと無礼者になってしまう、生意気な野郎だと思われるに違いないとの懸念に従い勇気を持って鏡を見ても、彼のその目はどこかへお出かけしている。よく出かける、アクティブな眼球。

 

「最近、調子どう?」いきなり聞かれても、「なんの?」とは言えない。「ああ、そうですね。まあまあです」となる。「なにが?」と聞かれる。毎回。

 

「髪、伸びたね」改めて言われても、「伸びたから来たんです」とは言えない。「ああ、そうですね。髪、伸びるの早い気がするんですよね」となる。「普通だよ」と言われる。毎回。

 

「車、好きなの?」逃げ込んだ雑誌のページにまで入ってこられても、「好きです」とも「好きじゃないです」とも言えない。「ああ、そうですね。まあ、車、はい」となる。「俺、このあいだランエボ買ったのよ。わかる? ランサーエボリューション」と言われる。テレビゲームで知っていたそのスポーツカーの名前に、かっこいいですよねとうかつにも反応したが最後。日を改め、一度この副店長のおじさんにバイト終わりの深い夜、ドライブに連れてゆかれた。青いランエボは市内中心部からずんずんと暗い方へ。ジェットコースター風のシートベルトを装着させられ、興奮したふりをしつづけた十八歳。ぼくが行かなくなった代わりになぜか母がその美容室へ行きはじめた。バツイチ元ヤン女の野生の嗅覚か。父はかつてGTーRに乗っていた。歴史は繰り返す。

 

「はい、お電話ありがとうございます◯◯美容室です」

「あ、カットの予約をお願いしたいのですが」

「ありがとうございます、ご予定は?」

「こんどの日曜日の午前中空いてますか?」

「こ、ん、ど、の。日曜日……午前中……でございますね? ご指名ございますか?」

「あ、あの、指名というか、だれでもいいんですけど、いつも店長さんに切ってもらってまして……」

「店長ですね、かしこまりました。こ、ん、ど、の。日曜日、十時から空いてますがどうでしょう?」

「あ、じゃあ、それでお願いします」

「はい、では、お名前お願いいたします」

「△△です」

「ああ、△△さん! こんにちは。どうも、ご予約ありがとうございます」

「あ、いえ、はは」

 

 美容師さんが二人しかいない小さなお店で、たまたま一番最初に切ってくれたのが店長さんだったというだけのこと。その次に、電話予約で、このあいだ店長さんに切ってもらったんですけど別にだれでもと伝え、また店長。次も、そのまた次も、次も次も。

「最近調子どうおじさん」じゃない、電話口のあなたを指名したい。消去法で。あなたもあなたでやる気ないオーラ出過ぎ。そのくせシャンプーの時、はりきって嫁さんの愚痴話すのはやめていただきたい。「△△くん、奥さんと喧嘩する?」ぼくは結婚していないし、彼よりも年上である。

 

 床屋にはないこの一連の親密さが、ぼくにはたまらなくたまらないのだ。

 

 どこのお店にいっても、大差はなかった。たとえば、有名店や原宿だ青山だ表参道だといったところのお店や、カリスマがいるところや、高級なところに行けば解決するのかもしれない。そうは思わない。むしろ、技術と値段に引っ張られ、照れも数段アップするだけだろうとぼくは考える。まず、その店のドアを開けられるだけの髪型をしていないのだが。

 

 自分で髪を切りはじめて、二年が経つ。

 行くのがいやなら、自分で切れというお話。

 歴史を繰り返したくないのなら、自分が変わらなければならない。

 ぼくは文句を言っているのではない、照れるだけなのだ。

 

「服を買いに行くのに着る服がない」と嘆いた古い友人のことを、いま思い出した。