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それ、照れます!

照れたら書き、書いたら照れる。三十超えて頬を赤らめ、ひとりゆく。上平格子の「照論文 」

飲むところ。あるいは、彼の数字。

 からあげが名物だという居酒屋で友人と二人で酒を飲んでいた日のこと。隣の四人掛けのテーブルに、案内された三人組の若い男たちがやってきた。それぞれが勢い良く、煙草、ライター、スマートフォンを置きバタバタと音を立てる。座るなり、ひとりが向かいの二人に対して開口一番。それは開店間もない静かな店内に大きく響いた。

「おれ、八連勤明けだかんな! 八! 八連勤やってやったよ! やっぱさ、居酒屋は働くところじゃなくて、飲むところだよ!」

 おしぼりを店員さんから受け取りながら言うセリフではないことに、『照れる』とわざわざ言葉にするまでもない。告白すると、このファーストタッチで、ぼくはビールを軽く口から吐き出している。友人も破顔させられている。耳から侵入してきた言葉の微細な粒子で、我々の神経伝達物質は一瞬にして狂った。

 注目したいのは隣人が放った無垢ではなく、その数字だ。

 お疲れ様でございますと、最大の敬意をまずはぼくから彼へ送りたい。ブラックだなんだという言葉があちこちから聞かれ、働き方改革などという言葉が永田町方面から聞かれたりする昨今。八はしんどい。六でもしんどい。折に、年始の話である。八の彼は、年の瀬から休みもなく働いていたのだ。どうしても休む人の分まで、仕方がないと働いたのだろう。彼のような人がいなければ、年末年始、居酒屋で楽しい夜を過ごすことはできない。感謝だ。

 

 彼らが囲む卓上に飲み物が運ばれてきた。乾杯。八の彼の手にカルーアミルク

 

 乾杯を終えた彼らは一斉に煙草に火をつけ、満足気な顔だ。そして、三つのスマートフォンが卓の中央に。どうやらゲームに興じている様子。いくつかの注文をし、遊びながら、食べながら、紫煙をくゆらさせながら。

 八の彼がこれから合流してくるもうひとりに、電話でお店の場所を説明する。「あそこの通りの、あの店の前の方にある、からあげ屋だよ。からあげ屋。ううん、違う。からあげ屋。そうからあげ屋。あった? そうそれ、そのからあげ屋がこのからあげ屋」

 混み合いはじめた店内の音が一瞬割れたよう。モーゼの十戒のごとき風景が店の入り口に現れた。彼らは四人になった。飲み物がひとつ注文され、スマートフォンは四つになり、煙草も四本になり、お酒も四つになった。八の彼の要求により、灰皿も四つになった。

 それから、これといった音沙汰はなかった。ぼくも隣人たちに気をとられることなく眼前の話題に花を咲かせていた。

 しばらくすると、隣で会計がはじまっている。八の彼が言った。

 

「千五百円でいいよ! 千五百円だけ払ってくれたら、おれすごい助かるわ。八連勤したからね、細かいのはおれ払いたい。むしろ払わせて! いやあ、今度の給料日マジで楽しみだわ!」

 

 無人のテーブルを見て、地球から人類がいなくなったらこんな感じになるのかなとぼくは思った。山盛りの四つの灰皿、レタスが残った皿一枚、氷もない溶けた水もない三つのグラス、半分残ったカルーアミルク

 自尊心はきちんと持ち歩いているらしい。

 テーブルの片付けとセッティングに来た、若い女性の店員さん二人の会話がそこにある。

「ここ、ドリンクのおかわりあった?」

「ううん、ない。一杯だけ」

「からあげは?」

「一皿、注文あったよ」

「ひとり一個か」