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それ、照れます!

照れたら書き、書いたら照れる。三十超えて頬を赤らめ、ひとりゆく。上平格子の「照論文 」

すべてを凌駕する言葉

社交で照れる

 さらりとものを言える人は恰好がいいものだなとつくづく思う。言うぞ言うぞと荘厳な雰囲気を纏ったっり、どうやどうやと衒学パフォーマンスに自ら頬を緩めたり、あなたのために言ってやっていると言わんばかりの勢いで、でも実は自分に言い聞かせているだけの相手置いてけぼりの人は、ちと怖い。世の中にはやっぱりいろいろな人がいるもので、心理学的観点からばかりものを言う人もいれば、スピリチュアル的観点、ビジネス的観点、文学的観点、生物学的観点、根性論的観点、量子論的観点、オカルティズム的観点、歴史学的観点、統計学的観点……人間の目は基本的には二つ以上ついていないからというのが理由だろうか、三つも四つも観点を持ち出す人はいない。ただ、持っている二つのうち、相手の二つに対し、勝てる強いほうを手にし、剣先を向ける。

 所詮、論点が定まっていない限り、公式の場で論議しない限り、プライベートな世間話では相容れないのが常だろう。同じ観点を持つ者同士ならば問題もないかと思うが、それが違うとなると。LINEに残るやりとりは痛々しいものになろう。相手が知る由もないような言葉をわざわざ使ってみたり、へんちくりんな例え話を持ち出してみたり、結局自分の話がしたいだけであったり(大抵、異性の話)、ろくな会話にはまずなり得ない。お互い、小難しい痛みを無用に得るだけだ。

 だが、すべてを凌駕する言葉、その存在にぼくは気がついた。

「V字回復」

 みな、人生を暮らしを向上させたいのだ。

「V字回復」

 お金ほしい、病気治したい、好きな人とどうこうなりたい、出世したい。

「V字回復」

 いかなる論者も、ここへ向かっているのだ。

「V字回復」

 

 普段の会話で「V字回復」をさらりと言える人は恰好いい。ニュースキャスターでもないのにだ。経営陣でもないのにだ。なんの論も学も力もないのにだ。けれど、それを言えるのだ。ぼくはむずがゆくなるほどに照れる。ぼくなら言えない。今後も言わない。照れて照れて、どうにもどうにも。

 自分の働く会社の数字が「V字回復した」と、中卒の弟が語っている。

 シャキーンと音が聞こえる。

 すべてを凌駕する音。