それ、照れます!

照れたら書き、書いたら照れる。三十超えて頬を赤らめ、ひとりゆく。筆者は格子「照論文 」

方言を濃くしたがるマイルドヤンキー

 県庁所在地にて。

 その県の北部か南部か東西の左右もわからぬが、どうもその最大の街にて周囲より一段も二段も濃い方言を話す若者が少数いることを私は確認している。街であればあるほど、方言は薄くなるというのか、柔らかくなるというのか、まあ都会的に少しはなるものなのだが、それは時々聞こえてくる。山奥の団塊世代が話すような言葉を操るマイルドヤンキーの咆哮。あるいは慟哭。当方、東京に居を移して久しいが長く暮らした街を例にしてみる。

 

 一般的な若者の場合(男子)。

 「一口ちょうだいや。ええじゃん、お前の美味しそうなんじゃもん。お願いじゃけえさあ。ちょっとでええけ。ねぇねぇ」

 マイルドヤンキーの場合(男子)。

 「一口くれぇや。えかろうがぁ、わりゃぁうまそうなもん一人で食うてからに、おぉ? ええけぇ、ちぃとくれぇや。のぉ」

 

 一般的な若者の場合(女子)。

 「うちあの子に言ったんよ。そしたらね、あんたが食べんさいやって言われたんよ。ねぇ、どう思う?」

 マイルドヤンキーの場合(女子)。

 「うちあれに言うたんよ。ほんならよ、われが食べれぇやぁ言うてからにうちもほんま頭に来たが、あんたぁどがに思うね? おぉ?」

 

 両親ないしは祖父母の影響かなとは容易に思うのだが(鎧であることはもちろん)、どうしてだろう。マイルドヤンキーは県庁所在地なる都市部においても言葉を濃くしたがる。映画好きなのかもしれない。郷土に対する誇り、言葉の継承、そういったものもあるかもしれないし、もしかしたら、いや、特に探求しようとも思わない。

 さて、マイルドでないヤンキーはどうなのか。これがなかなかどうして逆なのだ。彼ら彼女らは、濃くならない。意外と、標準語がちと混じる。なんなら少し中性的になる。見た目はデニスロッドマンのようでも、

 「一口くれやぁ。いいじゃん。おいしそうなの食べてぇ。欲しいなぁ。ちょーだい」などと言う。

 本当の不良は自らを怖く見せる必要を持っていない。むしろ、かわいく見られたい。マイルドヤンキーが市内中心部のドトールやマックでおらおらと方言を濃くするのはかわいいもので、まちがってアフタヌーンティーなんかに入って、さらに濃く、限界まで濃くなってゆくのは愛くるしいものがある。

 「なんやこのマカロン言うんは。おぉ? わしゃこがなんよう食べんでぇ。まあほいじゃが、しょうがないよのぉ。ごうにはいったらごうにはいらにゃのぉ。おい、食うたらデオデオ行ってコテ見ようや。ベスト電器と比較じゃの。マカロン、案外美味いのぉ。そういやぁ、フタバ図書でpierrotのアルバムも買うてからにゃのぉ」

 

 見かけるたびに、私は照れる。思い返すたびに、私の心は温まる。